新作『フェイブルマンズ』を華麗に魅せつけられて現時点のスピルバーグとは自己への書き換えを難なく行える地点にまでいるのかと観賞後即時的に思う。この監督はどこへ向かうのだろう。
スピルバーグ監督その名を記すことはどような意味を持つのだろう。
映画を知らない層にも名が知られた現代の名監督/名匠である、エンタメ系からヒューマンドラマ、政治/社会派映画まで手掛け製作や他の映画監督へのサポートも多岐にわたる。ジャンルの幅広さをもつ映画監督である。一時のテレビでの映画劇場は放送が頻繁に行われていた時期にスピルバーグの映画もよく放映されていた、テレビ視聴から映画へ入口として格好の映画を作り続けた監督だった。
映画『未知との遭遇』『E.T.』は映画の面白さと映画の世界で物語られる人々の魅力と絆のようなものを的確に伝え、映画への水先案内人のように機能してもいた。映画『未知との遭遇』にはあのトリュフォーが役者として出演している。後年になって『未知との遭遇』でトリュフォーが主演したことを知った、いや一度は観たはずだがトリュフォーだとは認識できなかった。後年になって再見した折にトリュフォーであると改めて認識し映画『未知との遭遇』は何も未知だけの遭遇だけではなく映画史への遭遇も忍ばせていた。
スピルバーグはハリウッド第五世代に属する、同時代ではニューシネマが吹き荒れた。ニューシネマのはじまり『俺たちに明日はない』がニューシネマの始まりとされ『イージーライダー』でスタイルを確立。本国アメリカではニューシネマではなくはハリウッドルネサンス/The Hollywood Renaissanceまたはアメリカンニューウェイヴ/American New Waveと呼ばれている、ニューシネマは本国では前衛かつアンダーグラウンド映画の新たなる動きのことを指す。
スピルバーグはニューシネマの範疇には該当しない、劇場デビュー作『続・激突!/カージャック』は時代の煽りを受けニューシネマスタイルで撮られている、時代と予算と人的制約が生んだ映画だろう。先ごろリバイバル上映が実現した『バニシング・ポイント』は初期スピルバーグに影響を与えた重要作でありニューシネマの名作。フラッシュバック手法を多用し主人公コワルスキーの自滅を描く、加速するスピードと乾いた質感、ラジオ局から発せられるソウル。映像に収められた雰囲気は初期の2作『激突』『続・激突!/カージャック』に酷似している。粒子の粗野さが生む時代的共振と言い換えることができる。スピルバーグは『バニシング・ポイント』について興味深いコメントを残している「私のフェイヴァリット映画の1つは『バニシング・ポイント』です。また孤独な道が無に続く『イット・フロム・アウター・スペース』という映画の素晴らしいポスターを覚えていて、実際にそれは『未知との遭遇』に取り入れようとしました。したがって、直線道路が消失点に向かっているとい考えは私にとってとても説得力のあるものなのです」
映画『激突』1971年11月3日に撮影が終了している『バニシング・ポイント』の全米公開は1971年3月13日、当時スピルバーグもこの時期に観た可能性は高い。
劇場でデビュー作の前にテレビ映画用の『激突』を撮っている。ヒッチハイクの名作『北北西に進路をとれ』の無人飛行機のプロットを拝借し無人トラックがひたすら自動車を追いかける。無目的で無機的、動機なき追跡にただひたすら追うことと追われることを描く。
なぜ、無人トラックが追いかけるのか、その答えも明かされぬままエンディングを迎える。
後のスピルバーグとは違い全編にわたりスリリングと恐怖を感じさせる、映画『悪魔のいけにえ』は映画『激突』から約2年後に公開されるが空気感に共通するものを感じさせる。映画『激突』の無人トラックと映画『悪魔のいけにえ』のレザーフェイス、ベトナム戦争や当時のアメリカ社会全般に広がっていた不安を即物的恐怖へ転換させる物体への転換。
ここまで初期スピルバーグに記したのは映画『フェイブルマンズ』が映画『激突』を撮る直前で物語を終えてしまうことにによる、映画史的に重要なデビュー作への言及を自伝的映画でものの見事に回避。映画全体も映画言及は至って控えめだ、映画史的に重要な映画をオープニングに映し出し映画的な拘泥への最初の一歩になる。その後のセシル・B・デミル監督の映画『史上最大のショウ』の機関車の踏切で車のエンストが起きた劇中の主人公が間一髪で逃れる場面に酷くショックを受けスピルバーグ少年にトラウマを齎すまでに及ぶ。
映画内は順調に活劇し卓越な編集によって飽きさせない手腕は見事と言うほかない、映画的面白さに軸を置き映画史的検討を怠ったと訝しくも感じる。中判に引用されるジョン・フォード監督の名作『リバティ・バランスを射った男』これがラストへの伏線になっている、だが劇中のスピルバーグ少年がどのようにして映画的技術を確立したのかは描かれない、省かれた部分を丹念に描くべきだった。
せっかくセシル・B・デミルとジョン・フォードを引用したのだから実際の二人は確執が起きた、赤狩りの時代に。
深刻な話題、シネフィルが期待しそうな描写を疎外させ映画は万人受けする企てで進行する。
自己を語ることをここまで躊躇せず自伝的映画と謳って映画を製作し公開させる地位まで気づいたスピルバーグ。
本作『フェイブルマン』には何かが足りないと思う。
その足りなさ、不在さが今現在のスピルバーグを取り巻く課題なのかもしれない。
不在、言及されなかったデビュー作テレビ映画『激突』を物語へ組み込むことを拒否した時点でスピルバーグは自己の立ち位置を映画史的検討を真摯に行うことも拒否したに等しい。この点について私は徹底的に批判する。
劇中の青年への成長したスピルバーグがテレビ番組の仕事にたどり着きジョン・フォードとの面会を迎え映画は終幕。
こうしたご都合主義な半生ならば誰もが描き得る。
私はスピルバーグの最高傑作『ミュンヘン』だと信じて疑わない、『フェイブルマン』の構想は『ミュンヘン』の撮影の合間に会話が元になっているらしくその逸話に甚だしく奇妙な憤りのようなような感覚を覚えずにおられない。
そうした態度は慎もう、誰もが彼スピルバーグの映画に賛辞を送り、面白かったと愚劣なレベルで垂れ流される安易な感想しか言えぬ映画をただ観る人々を作ってしまった功罪がスピルバーグにあるかもしれない。映画をエンタメでしか考えない凡庸な人々は映画を遡及し現代と過去を反芻しながら映画史へ没入を拒絶している、であるからこそ娯楽的な映画から映画はいつになく囲い込まれている時代に入り、映画を観ることは困難さを常に伴う。困難さを回避しながら映画を観る行為自体が映画を本質的に観ることから遠ざけている。
参考文献
映画『バニシング・ポイント』リバイバル上映パンフレット
筈見有弘 『ヒッチハイク』 講談社現代新書
文藝春秋編 『大アンケートによるミステリーサスペンス洋画ベスト150』 文春文庫